
ぼちぼちいこか。でも At Fillmore East だけは、今も特別や — Yoshihiro Sasaki
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最初はラジオだった。
小学生のころ、どこかの局から Let It Be が流れてきた。カーペンターズも、そのころだったか。音楽というものを意識した、最初の記憶だ。
それが Deep Purple になり、Led Zeppelin になり、Eagles になり、Doobie Brothers になり、Clapton になった。そしてふと気づいたら、Allman Brothers Band を経てブルースに行っちまっていた — 佐々木さんは、そう語る。
ラジオの向こうから、ブルースへ
音楽の道は、気づけばブルースへと続いていた。
Otis Rush の名前を挙げたとき、佐々木さんの言葉に柔らかさが漂った。「Otis Rush 好きやったな。あんまりコピーしてないけど。」コピーしていないのに好き — それがブルースの聴き方だ。体で感じるもの、理屈じゃない。
B.B. King についてはこう言っていた。「BBKingは、洗練されてたように聞こえて、大学時代は、これ違うと嘯いてたが、今は良く歌ってる。当時は分からんかった。」
若い頃はわからなかった。でも今はわかる。それがブルースとの正しい付き合い方なのかもしれない。B.B. King の音は派手じゃない。でも一音の重さが違う。生きた証が乗っている。
周りに詳しいやつらがいて、色々教えてもらった — とも言っていた。音楽は一人で聴くものだけれど、誰かに教えてもらってこそ広がる世界がある。佐々木さんの音楽の旅は、いつも仲間と一緒だった。
At Fillmore East — 18歳の衝撃
「思い出すのは、AllmanのAt FillmoreEastかな。18の時に買って聞いたけど。」
1971年3月、ニューヨーク・イーストヴィレッジに建つコンサートホール Fillmore East。2夜にわたるライブが、後に2枚組LPとして世に出た。The Allman Brothers Band の最高傑作にして、ロック史に刻まれるライブアルバムだ。
Duane Allman のスライドギター、Gregg Allman の嗄れた歌声、Dickey Betts のサイドギター、Berry Oakley の重たいベース、そして2人のドラマー — Jai Johanny Johanson と Butch Trucks。音の塊が、ホールの壁を揺らしていた。
佐々木さんが18歳でこのアルバムを手にした時、ブルースとロックの境界線はもうなかった。
Statesboro Blues と Duane のスライド
At Fillmore East の1曲目、Statesboro Blues。Blind Willie McTell が1928年に録音したブルースを、Allman Brothers Band はスライドギターで完全に自分たちのものにした。
「スライドがしたくなって Statesboro Blues をコピー。オープンチューニングなど知らんかったし、知っててもわからんなるので、未だにレギュラーチューニングで演ってる。Duane のスライドは好きだったなー。」
Duane Allman はオープン E チューニングでスライドを弾く。ボトルネックをびりびりと鳴らす、泥臭くも美しい音。その音に惚れた佐々木さんは、オープンチューニングを使わず、レギュラーチューニングのまま今も弾き続けている。
それでいい、と思う。コピーは完コピじゃなくていい。あの音に近づきたいという衝動が大事で、その衝動がギタリストを育てる。
ちなみに Duane Allman は、この Fillmore East の録音からわずか7ヶ月後の1971年10月、24歳でこの世を去った。オートバイの事故だった。だからこの2枚組LPには、美しさと哀しみが同居している。もうこのグルーヴはここにしかない。
In Memory of Elizabeth Reed — 手が届かない高み
「最初は In Memory Of Elizabeth Reed をコピーして喜んでたが」と佐々木さんは言った。「喜んでた」という言葉に、青春の匂いがする。
Dickey Betts が書いたインストゥルメンタル、In Memory of Elizabeth Reed。At Fillmore East バージョンでは約13分。2本のギターが絡み合い、ジャズとブルースとロックが溶け合う演奏だ。
このアルバムで最も難しい曲を「最初にコピーした」という事実が面白い。理論より耳。好きな音から入る。それが佐々木さんの音楽の作法だ。
「いっちょカミが多くて、この人のこの曲で聴くので、深くアルバム通して聞くことがあまりなかった」— そう言いかけて、At Fillmore East だけは別だ、という。全曲、何度も通して聴いてきた。それだけの力がこのアルバムにはある。
日本のブルース、そして今も
「日本では、West Road と Breakdown かな。」
West Road Blues Band — 京都発、日本ブルースの金字塔。永井“ホトケ”隆と塩次伸二を擁し、本場のシカゴブルースを日本の体温で鳴らした。Breakdown は70年代のロック/ブルースバンド。どちらも、日本語でブルースを語る上で外せない名前だ。
大学時代はフュージョンが流行っていたが、馴染めんかった、とも言っていた。みんなが横向きに走るとき、一人だけブルースのまま立っていた。それが佐々木さんという人だと思う。
好きな言葉は「ぼちぼちいこか」。急がず、でも歩みは止めない。音楽との付き合いもそうだ。何十年経っても、At Fillmore East を聴いてギターを弾く。ぼちぼちと、でも確実に。
編集後記
佐々木さんは、私(ナミオ)が大学音楽サークル「The Jokers」に入った時の先輩だ。
ただ先輩というだけではない。プライベートでも本当にお世話になり、恩人の一人だ。上京するたびに必ずスタジオで遊ぶ。先日も佐々木さんが上京されて、一緒に Blues Session を楽しんだ。今もお元気で、ブルースバンドで現役活躍されている。
佐々木さんのプレイを見ると、いつも思う。音楽って、ぼちぼちでいいんやな、と。急がず、でも手は抜かない。レギュラーチューニングのままでも、Duane への愛情は本物だ。
お元気で活躍してほしい。
— Namio
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